アラドの郊外電車


 ルーマニア西部、ハンガリー国境にほど近い都市アラド(Arad)には路面電車が走っています。ここの路線図を見ていて気になるのが市街地を出て郊外のギオロク(Ghioroc)まで長く延びる系統。この路線は元々アラドの街と郊外の村々を結ぶ郊外電車として開業したものが後に路面電車網に組み入れられたものです。旅行中アラドで少々時間があったのでこの郊外路線に乗ってみることにしました。


★11系統

 出発はアラド駅前から。ホームの切符売り場でギオロクまでと言うと市内均一区間の外にあるため郊外運賃の切符が出てきました。やって来たギオロク行き11系統はドイツから流れてきた中古のデュワグ製トラム。アラドのトラムは静かなデュワグやタトラの中古が大半を占めているのでやかましい走行音は期待できません。こういう車両が来ると普通のトラムっぽいので頻発していそうですがギオロクまでのこの系統は本数が少なく日中で2時間も間が空くことがありますから時刻表の事前チェックが必要です。

 静かな走行音の電車に揺られているとやがて車窓は市街地を抜け郊外の住宅地や田園風景を行く単線になります。道路の脇を走っていく様子に往年の名鉄美濃町線をちょっと思い出しました。これで釣り掛けだったら最高なんだけどとちょっと思ったり。湖が見え陸橋を上がりCFRの線路を越えてギオロクの町に入るとすぐに終点のギオロクです。アラド駅から22kmの道のりは約1時間かかりました。


★三角線の折り返し

 さて着いたギオロクの終点では三角線を使って折り返しているのが興味深いところです。

 かつてこの郊外路線はギオロクで北のPancota方面と南のRadna方面の2つに分かれ先に続いていたのですが、現在ギオロク以遠は廃止になっています。ただ先がなくなった今も分岐設備はそのまま折り返しに使われているため降車後手の混んだ折り返し手順を見ることができました。

 右にこの三角線の図を示し、以下到着から発車までの画像を貼りますのでまずご覧下さい。

 

 アラドからの単線を走って来た電車は三角線に着くとポイントを右手(南)に入り図1の地点に停車して乗客を降ろします。

 

 画像の白い建物はベンチのある待合所。ここが三角線の中心にあたり野菜や果物を売る露店が出ていました。

 乗客を降ろした空の電車は図2の地点(画像左から2枚目)まで進み、スイッチバックして図3の乗車ホームに移動します。

 切符売り場がある乗車ホームに着いたら発車時間を待ち、時間になると乗客を載せアラド方面に向かう単線へ走り去っていきます。

 このように面倒な折り返しをするのは大変ですが、片運転台の編成が入れるよう新たにループ線を作るとなると大変でしょうし、おそらく発着する電車の数が少ないため時間と手間がかかってもさほど問題はないということなのでしょう。


 三角線の折り返しを見物した後は道路脇のかわいらしい単線を見ながらアラド方面に500メートルほど戻り、車庫を見物することにします。


★ギオロクの車庫

 CFRの線路を越える陸橋の三角線側のたもとにギオロクの車庫があります。(画像のように陸橋上は複線。)本線から車庫までは一度側線でのスイッチバックを介すという面倒なものですが、おそらく陸橋が建設された時の影響かと思われます。

 現在このギオロクまでの郊外電車を含め通常運行されているアラドの路面電車はPiata UTA停留所にある車庫にねぐらがあるため、ここギオロクの車庫は普段使われていません。なので車庫につながる側線のレールは草に埋もれ錆が浮いて長らく電車の出入りがないようでした。

 


 車庫の中をのぞくと普段は使われない単車やオープンカー、貨車などが見えます。なんだか車庫と言うより物置といった雰囲気でもありました。

 車庫の端には電化当初から使われている電車と客車が数両朽ちているのが見えます。なお上の画像に見えるガレージ内にはこの朽ちている車両と同時代の電車がキレイに復元の上動態保存されていてイベントのときに公開されるとのことでした。この復元車両はアラドの電車のシンボルのような扱いになっており通常運行されているトラムの車内にときどきステッカーが貼られているのを見ることができます。


 三角線と車庫を見たあとアラドへの帰路は郊外電車と別の経路でアラドに向かうCFRを利用しました。CFRのギオロク駅は有人駅で郊外電車が越える陸橋のすぐ南に位置し、ホームには売店があるので簡単な買い物やお酒やコーヒーを飲むくらいのことはできます。

 駅名板を見るとハンガリー語表記が併記されていました。この辺りに多いハンガリー系住民に配慮したものだそう。実は郊外電車が開業した頃(開業1906年・電化1913年)この辺りはオーストリア=ハンガリー帝国領で、車庫の復元された電車もハンガリーのガンツ社製とのことでした。

 オラヴィツァでの乗り鉄に続きここでもルーマニアの歴史の複雑さを垣間見たような気分です。


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