ルーマニア最古の鉄道路線


 ルーマニア南西部のオラヴィツァ駅からはルーマニア最古の鉄道路線が出ているので最古の現役客車が走る路線のついでに乗ってきました。かつては最古の現役客車が走る路線と一体で機能していた路線で、なかなか複雑で興味深い歴史的経緯を持っています。


 ルーマニア最古の路線はオラヴィツァ(Oravita)とヤム(Iam)を結ぶものです。ドナウ川の水運とアニーナの炭鉱を結ぶために計画された路線の一部が1854年にドナウ川岸のバジアシュ(Bazias)からオラヴィツァまで開通したのがルーマニア初の鉄道で、そのさらに一部がヤム〜オラヴィツァということになります。

 建設当時この路線は全線オーストリア領内(1867年からオーストリア=ハンガリー帝国)だけを走るものでしたが、第一次世界大戦の結果オーストリア=ハンガリー帝国領ではなくなり、オラヴィツァ〜ヤム間と末端のバジアシュ近辺がルーマニア領、途中はセルビア領というややこしいことになってしまいました。その後この路線はバジアシュ側の末端とセルビア領内の区間が廃止され残りのオラヴィツァ〜ヤムだけになったわけです。

 ややこしくなったので下のような表だと少しはわかりやすくなるでしょうか。このようにアニーナまでバジアシュまで石炭を運ぶための1本の路線はバラバラになってしまいました。

区間

バジアシュ(ルーマニア)

セルビア領内

ヤム〜オラヴィツァ

オラヴィツァ〜アニーナ

開業

1854年開業(平坦区間)

1863年開業(山岳区間)

現況

廃線

一般客車で運行中

旧型客車で運行中


★オラヴィツァ駅

 ではルーマニア最古の路線をオラヴィツァから見ていきます。オラヴィツァは地味な駅ながらルーマニア鉄道発祥の地ということになるのでホームの片隅には記念碑や説明文の掲示がいくつか見られました。人の少ないこの駅に日本の鉄道開業はおろか明治維新よりずっと前から鉄道があったというのは何だか面白い気がしてきます。

 オラヴィツァのホームと線路は高台にあり、駅前は1段下がっている地形です。駅舎はその間をつなぐ立体的な構造になっています。そのためオラヴィツァ駅はルーマニアで最初にエレベータが設置されたところでもあるのだそうです。


 だいぶ前置きが長くなりましたが、オラヴィツァからルーマニア最古の路線に乗る段になってみると車両はルーマニア標準の客車ですからとりたてて最古という気分にもなりません。例えば東海道線に乗っても岡蒸気ではなく今の電車が来る、というのと同じようなものでしょうか。また炭鉱のあるアニーナに行く山岳線と違いこちらは平坦線で線形も悪くなく車窓は畑やウシウマヒツジのいる牧草地が続くばかりでさほど変化もありません。それでも空いた車内で窓を開けてのんびり外を見ていればそれなりに楽しいひとときではありました。


★ヤム駅

 終始ガラガラのままオラヴィツァから27km、52分で終点のヤム駅に着きます。駅舎は無人で荒れ、駅前に店などは見あたりません。線路の脇に生い茂る草むらの向こうにヤギだかヒツジがいるらしくメーという声が聞こえてきます。機関車は到着後すぐに切り離され機回しのため前方セルビア国境方面に向かって走っていくのでとりあえず追いかけてみました。

 セルビア方の末端はポイントを過ぎるとレールは機回しの機関車が入る分だけ顔を出しその先は草に埋もれています。現在は一体どこまで続いているのかは見えないのでわかりません。なおここからセルビア国境までは2kmを切っています。線路上は草が生い茂っていて歩けないため国境近くの廃線跡を見ようという場合は迂回することになりますが、距離は大したことないのでそれほど時間は掛からなさそうです。


 駅の北にあるヤムの集落に向かう道を見ると馬がついていない馬車が置いてありニワトリがウロウロしています。ヤムの集落の中心まではそう遠くないはずですが18分の折り返し時間をはさんでとんぼ返りしなくてはならず見に行く時間はありません。急いで列車に戻りオラヴィツァに引き返しました。


 という具合でただ乗っただけに終わり、またただ乗る分にはごく地味な路線ですが歴史や廃線跡に興味がある向きには訪れる価値がありそうです。


※残念ながらその後オラヴィツァ〜ヤムの旅客列車の運行はなくなりました。


(2010年訪問)


景色は乗った後に(表紙)ルーマニアもくじ>このページ

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